2000年度春季研究発表会予稿集 参照数:5038 |
2000年度春季研究発表会予稿集1999年度に引き続き、研究発表会での討論をより活発なものにするために、学会ホームページに予稿集のページを設け、発表要旨を前もって掲載いたします。データベース委員会では、要旨原稿を受け取り次第、本ページに掲載したします。 なお、各発表者には通知済みですが、まだ、発表要旨をお送りいただいていない発表者は、e-mail にて、データベース委員会までお寄せ下さい。 シンポジウム IV シンポジウム「〈戦後文学〉を越えて - 1989年以降のドイツ文学」 かつて、1982年から84年にかけて3回にわたりシンポジウム「1968年以降の西ドイツの文学と社会」が、日本独文学会研究発表会の場で催された。またそれを契機として、1982年以降年に2回 定期的に「現代文学ゼミナール」が開催されている。本企画は、前回シンポジウムの意志を踏まえつつ同時に、18年間にわたり継続された「現代文学ゼミナール」という試みの一端を検証する場でもある。シンポジウムそのものは「1989年以降のドイツ文学」を副題とした連続企画として、2000年度春季・秋季及び2001年度春季の計3回が予定されており、前回シンポジウム以降の変化、すなわち所謂〈壁崩壊〉以降のドイツにおける文化と社会の変動を見据えつつ、同時代文学の動向について討議してゆく。その第1回目であるシンポジウム「〈戦後文学〉を越えて」においては、90年代文学を、1945年以降の〈戦後文学〉という枠組みに照らし合わせた際の連続性と断続性、という点に主たる照準を据える。
〈戦後〉と呼ばれる世界の枠組みが東西分裂という冷戦構造のうえに成り立っていたとすると、この間の社会の変動は〈戦後文学〉の終わりをも意味するのだろうか?
1965年東ベルリンに生まれ、90年代を代表する人気作家の一人となったトーマス・ブルッスィヒ。ベルリンの壁崩壊後の90年から大学で社会学と演劇学を学び、91年小説"Wasserfarben"で作家デビュー。2作目の長編小説"Helden
wie wir"(95年)がベストセラーとなり、99年、やはりベストセラーとなった小説"Am
kuerzeren Ende der Sonnenallee"(99年)とともに映画化されて話題を集めた。
プライヴェートな世界の政治性を指摘したのはフェミニズムである。この政治性とは、単に家族や恋愛といった私的世界における権力構造を指すだけでなく、そもそも私的なものと公的なものを区別し、そこにヒエラルキーを置くことを意味する。
復古主義の1950年代には、文明社会の病を癒す「牧歌」的な空間として農村や地方都市を描く郷土文学がいぜん人気を博していた。これに対抗して70年代に出てきたいわゆる「反=郷土文学」は、「牧歌」のネガにある「地獄」を暴きだすという社会批判的な機能を果たし、アンガージュマンを是とする「戦後文学」の典型とみなせる。そこでは、自伝的形式がよく取られたように、歴史的経験的現実のリアリスティックな再現が目指され、「真実性」が絶対的な基準とされた。ところが80年代になるとこの種の批判的文学は次第に力を失っていく。マンネリに読者が飽きたこともあるが、告発すべき田舎の現実が決定的に変化し、もはや都市に対抗するような異質性を主張できなくなってきたことが大きい。それゆえ80年代の文学には、社会批判とは一線を画して、失われた世界を哀悼する試みが散見されるようになる。これを受けた90年代の文学でも、地域社会の解体と変質がしばしば主題にされ、回想による過去の救出が企てられてもいる。その一方で、ストーリー性や娯楽性を重視して、伝統的な郷土文学と「反=郷土文学」の双方をパロディー化し、虚構の物語を展開するための単なる道具立てに利用するような作品が現れてきた。この虚構として故郷を描くエンターテイメント文学に「戦後文学」の枠組みを乗り越える可能性を探ってみたい。
1990年代のドイツ演劇を、ハイナー・ミュラーやフォルクスビューネ等のベルリンとは異なった視点から、ウィーンにおけるブルク劇場を中心に考察してみたい。「戦後」ドイツ演劇の基本発想には、ブレヒトの影響が著しい。68年以降の「演出家演劇」にも、47年グループ以降のドイツ「現代文学」と共通する課題が見られる。つまり東西分裂という現在と、ナチズムという過去との二重のトラウマを隠蔽する平穏無事な「日常」の虚偽意識を、文学あるいは演劇という美的手段を用いて指摘・批判・暴露して行く作業である。それは内面的には重い課題であるものの、問題設定としては明瞭であり、対立と批判の対象としての「ドイツ」も、「分裂」という眼前の事象の故に、過去との関わりの中で自ずと相対化され得ていた。しかし「統一」後、「ドイツ」は、まさに自明となることによって、逆にその虚偽性を深めている。排除され、拡散するトラウマを「現実」に引き戻すために、時代の無意識としての「美的」表現があるとするならば、90年代の演劇・文学の課題は、それ以前と比べて、遙かに困難となっている。「書く」こと、あるいは「語る」ことへの疑念に固執するウィーン演劇は、保守的伝統とパイマン風挑発とのバランスの中で、特異な生産性を示していた。それは、制度の中における緊張を追求し続ける「ドイツ」演劇の特性と困難とを如実に示すものとも言えるだろう。
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