アジア・ゲルマニスト会議(AGT)2019札幌大会に参加して (T. Shirai) [J]   作成日:2019/11/06
 元来が呑気な性格で、このコラムにいざ取りかかろうという段になるまで思い出しもしなかったのだが、思えば半年前、長く暗い冬のミュンヘンから帰国したばかりの私の心を最も()()()()のは、花の便りでも鰆の便りでもなく、確かに中国とインドネシアからの便りだった。



 私の帰国を知ってか知らでか、AGT実行委員会から入国ビザ関連書類の作成依頼が舞い込んできたのが3月。4月の私は疲弊していた。それは、昼夜をおかず各国から飛び込んでくる作成依頼の多さのせいでも、ましてや、拙いドイツ語がメーリングリストに乗って実行委員諸氏に晒される気恥ずかしさのせいでもなかった。それは、ビザ希望者から時折やってくる骨の折れる依頼のためだった。


 アジア・ゲルマニスト会議2019は、ドイツ学術交流会や東京ドイツ文化センター等の公的助成、それに若手研究発表者は岩崎奨学金の援助を受け、2019年8月26日から29日の4日間の日程で、札幌は北海学園大学にて開催された。どこまでも直線的でやけに道幅の広い道路の脇に、遠く遠く並ぶ巨大なアカシアが印象的な札幌の街に、アジアやヨーロッパ、それに太平洋諸島諸国の22の国と地域から、実に251名もの参加者が集まった。1991年の第1回ベルリン大会からちょうど10回目を数えた今回の札幌大会では、「多様性における統一?」を総合テーマに、9つの基調講演と169の研究発表が行われ、それぞれの分科会の視点から文化の多様性とこれからのゲルマニスティクの可能性について活発な議論が交わされた。


 とりわけ2019年は三・一独立運動から100年目ということもあり、直前に悪化した日韓関係のAGTへの波及が懸念された。とはいえ、これまでの報告書を見る限り、AGTがこうした局面に差しかかったのは初めてのことではなく、むしろほぼ毎回、当事国は変われど何らかの事情で国家間の緊張が高まり、それがAGTの懸念事項の一つになっているようだった。


 AGTにはいつも、アジア、特に開催地である東アジアが抱える問題がつきまとう。東アジアはもうずっと根深い問題を抱えていて、そして現在はそれが頻繁に表面化するような状況にある。それでも発足から今日に至るまでの28年間、AGTは「アジア」という問題設定を放棄しておらず、一度として開催中止の憂き目をみていない。それはAGTの発起に始まり存続に力を尽くす関係諸国のゲルマニストが、母語も暗黙の了解も異にする他国の研究者と、誰の母語でもない言語で、一つのテーマについて考えを述べ合う機会を存続させることが、ゲルマニスティクや人文学の振興に資すると信じているからに他ならない。このようなことに価値を置くこと自体が、日本や韓国でゲルマニスティクが置かれている状況や、北米や他の多くの国で人文(科)学の予算が削減され続けている状況に鑑みると、時代の要請に逆行しているのかもしれない。教育機関もグローバル資本主義的なマーケットで利益を追うというのが今の時代ならば、リターンが遅いどころか回収の保証のない人文学という学問分野に対するこの時代の評価は推して知るべしといったところか。


 しかし本来、人文学的な教育によって得られる知識というのは、特定の時代の特定のイデオロギーにその価値を大きく左右されないことにこそ、その本質があるのではなかったか。そもそも国とは何なのか、言葉とは、常識とは。そういった人間や人間社会の基幹的な部分についての根源的な問いが、自らが属する社会や時代の価値観や立ち位置を俯瞰的に認識することを可能にする。そしてそうしたメタ的な認識を提供し得ることこそが、他の学問分野にはない人文学の真価ではなかったか。AGTは私たちにそのような最も人文学的な問いを立てさせる。それは他でもないAGTが、ゲルマニスティクの国際学会であるにもかかわらず、ドイツ文化や文学・言語を、自国の、あるいはアジアの問題として私たちに考えさせるからだ。


 欧米や日本の伝統的な教育機関ではリベラルアーツが実学の基礎として学ばれる、という言説を耳にすることがある。かつて私が身を置いていた欧米の大学の、私の周りの非人文系の学者の、2015年頃の認識は、残念ながらそうではなかった。当時、私の指導教官が、この伝統的な学びのスキームの再評価の必要をあらゆる場面で強調していたことをよく覚えている。日本やアジアだけでなくドイツでも、人文学はその本質の再評価が必要な状況なのだ。


 東アジアは問題を抱えている。それでも私たちは、特定のイデオロギーに振り回されることなく、人文学的な学びの実践の場としてAGTを継続する。そのこと自体がアジアのゲルマニスト、人文学者から世界へのひとつのメッセージになるのではないかと思う。AGTがこのままの形で継続されることを願ってやまない。


 実行委員会の補助として会議に参加しただけの私に包括的なまとめなど望むべくもないので、以上をもってAGT2019の報告と、9年後にまた想定外の依頼に戸惑い、冷や汗を流す次のビザ関係書類作成係への激励に代えたいと思う。ビザ関係書類作成係として、また別の常識に触れることで学ぶことは多い。あなたの(冷や)汗も、ゲルマニスティクと人文学の未来を支える大きな流れの、その飛沫の一滴ぐらいにはなっていると、胸を張ってやり遂げてもらいたい。


白井 智美(東京大学大学院人文社会系研究科研究員)