2018年秋季研究発表会を振り返って(T. Nishikawa) [J]   作成日:2019/03/04
 2018年の日本独文学会秋季研究発表会は、台風のために2日目が中止になってしまいました。2011年の震災による春季研究発表会の開催中止の記憶もまだ残る中、中止の判断を下さざるをえなかったことは、清野会長をはじめ理事の方々にとっては苦渋の選択だったと思いますが、会場などの準備を進めてきた東海支部にとりましても大変残念なことでした。荒天を見越して初日から参加を見合わせた学会員の方も多かったことと思いますので、当時東海支部長として運営の任にありました私から、事前の準備作業も含め、名古屋での学会についてご報告させていただきたいと思います。
 2018年は自然災害の多い年でした。1月には草津白根山のスキー場での噴火、6月の大阪の地震、7月の西日本での豪雨、そして9月には大阪などの台風被害の直後に北海道で大きな地震がありました。愛知県はもともと台風が多い地域ですので、学会準備の段階から台風は大きな不安材料ではありました。

 開催のための準備はすでに1年半ほど前から始めておりました。名古屋大学では1991年以降全国学会が開かれていなかったということもあり、名大での開催は比較的早い段階で決まりました。次に決めなければならないのは日程ですが、大学での申請受け付けは2018年の1月以降に始まり、委員会での審議・認可は2月末まで待たねばなりませんでした。例年の施設貸し出し状況、10月の土曜日の補講日、あるいは大学の公式行事などを考慮した結果、9月末という日程にせざるをえませんでした。今回の研究発表会では、100名規模の教室を6つ、そのほかポスター発表やブース発表などのために50名規模の10教室を申請しました。すべての部屋を一つの建物でカバーできるのは名古屋大学には共通教育棟(旧教養部)しかなく、万が一名大での申請が通らなかった時のことも考え、中京大の教室も押さえてもらうなど、まず会場をいかに確保するかということで頭を悩ませました。

 研究発表会開催のための第一回実行委員会は4月25日に行われ、学会開催までの流れを確認した後で、各部署の担当責任者を決めるなどしました。6月30日に行われた第二回実行委員会を経て、開催2週間前の9月15日には第三回実行委員会を開き、教員や学生アルバイトのタイムテーブルなど細かなところまで準備を進めていきました。しかしその際急浮上してきたのがごみ処理の問題でした。当日出たゴミは持ち帰らなければならないということが分かり、その対策を考えなければならなくなったのです。結局、建物内のゴミ箱には「使用禁止」の張り紙をして、ゴミはすべて休憩所のゴミ袋に入れてもらうようにすると同時に、当日の総会、発表会場では、各自できるだけゴミを持ち帰ってくださいと何度か告知いたしました。皆様にはご不便をおかけしてしまい、まことに申し訳なく思っております。しかし、皆様のご協力の結果、出たゴミは数袋だけで済みました。この点につきまして、この場をおかりしてお礼を申し上げます。

 名古屋大学では後期の授業は10月開始ですので、前日の準備を午後の早い時間から行うことができたのは良かったのですが、この時点で、台風が日本を直撃することはほぼ決定的でした。速度が極端に遅い台風でしたので、このままなんとか日曜の夕方までゆっくりとした速度を保ってくれないかと祈るばかりでしたが、思いとは裏腹に、その後台風は速度を上げて近づいてきました。

 こうして9月30日を迎えることになりました。例年ですと、秋には総会はありませんが、今年は法人化へ向けての最終的な議論の場として、午前中に総会が行われました。1時からのJohannes Fried先生の招待講演を挟んで2時半からシンポジウム・研究発表が行われたわけですが、この時点でもまだ、2日目も予定通りなんとかできるかもしれないと考えておりました。しかし、たとえ研究発表会が予定通り行われるとしても、あらかじめ対策を練る必要がありました。遠方からのアルバイト学生や参加者のことなど、研究発表会を安全に運営するための相談を重ねました。

 結局、1日目は263名の方にご参加者いただきました。2009年の名市大で行われた名古屋学会では2日間合わせてとはいえ402名の参加者でしたので、荒天により参加を見合わせた方がやはり多かったのではないかと思います。

 懇親会にどれくらいの方がいらしていただけるかということは、朝からの心配の種でした。理事の方々も懇親会への出席を勧めてくださったようです。1日目のプログラムが終わる午後5時半ころにはかなり雨脚が激しくなっていたにもかかわらず、166名もの方にご出席いただきました。おかげさまで赤字も出さずに済みましたが、懇親会後は急いで新幹線に乗車された方など、多々ご不自由をおかけしてしまったことと思います。懇親会では、たくさんの方のご協力を得て、地酒やワイン、あるいは手羽先やきしめん、天むす、ひつまぶしなどの名古屋メシも揃えることができましたが、あのような天気の中わざわざ出席していただいた方々へのせめてものおもてなしになったのであれば幸いに存じます。

 2日目の研究発表が中止になったことを知ったのは、無事懇親会が終わり、家路についた地下鉄の中でした。それからはメールで実行委員の先生たちに中止を知らせるとともに、学生アルバイト担当の先生からは、学生たちに中止の連絡をしてもらいました。翌日は、DAADなど会場にブースを出していた何人かの方々や書店の方々、そして私どもも朝から会場の片付けに追われましたが、11時ころにはだいたい片付けが終了し、皆さん急いで名古屋駅へと向かわれました。後からお聞きしたことですが、清野会長や理事の田中慎先生、北海道から来られたS先生、あるいは郁文堂のKさんなど、その日は名古屋に宿泊せざるをえなくなった方々もいらっしゃったようですが、多くの方々はなんとか新幹線が動いているうちに名古屋を脱出されたようでした。2日目に研究発表・シンポジウムを予定されていた方々には、大変申し訳ない結果となってしまいましたが、長い時間をかけて準備しておりました私どもにとりましても大変残念なことでした。しかし、特にアルバイト学生の安全を考えた場合、前日のあのタイミングで理事の方々が中止の判断を下されたことは、運営する私たちにとりましては、非常にありがたいことでもありました。おかげさまで無事に会場の片付けも終えることができました。

 私が名古屋近郊の自宅に帰ったのは午後1時くらいだったと思いますが、その頃には風もかなり強くなり、空は台風接近の緊張感に覆われていました。名古屋への最接近はその日の深夜でした。雨は思っていたよりは少なかったものの、最大級の台風であったことは確かです。しかしその翌日は、まるで何事もなかったかのように台風一過の青空が広がっていました。会場となった共通教育棟に入ると、そこはいつもの風景に戻っていました。ただ、前日に回収した「日本独文学会秋季研究発表会」の看板だけが、祭りの名残のように玄関ホールの掲示板付近に横たえられていました。

 ご存知のように、秋の研究発表会は各支部で9年ごとの持ち回りとなっております。「9支部」という分け方も変更が検討されていると聞きました。確かに全国学会の準備は大変です。会場や人員の確保だけでなく、予算の管理や懇親会の手配なども必要となります。東海支部は、会員数はなんとかここ数年現状維持の状態が続いているものの、常勤のゲルマニストの数は減っております。今回は30名近くの方たちの協力を得てなんとか無事に開催することができました。また、東海支部の会員によるシンポジウムや研究発表もいくつかありました。私は、その中の一つのシンポジウムに、立ち上げの勉強会の時期から参加させていただき、途中何回か開かれた勉強会では、私自身もレポートさせていただいたり他の研究者たちの話を聞くこともできました。忙しさを口実に、ここ何年もこうした機会から遠ざかっておりましたが、やはりいろいろ勉強することは楽しいです。ここ数年なかなか顔を合わせることのなかった人たちとも久しぶりに話をすることができました。ゲルマニストを取り巻く環境は厳しくなるばかりかもしれませんが、支部での全国学会開催には、たくさんのメリットもあります。準備する側も何とか「楽しさ」を見つけながら続けていってもらえたらと思います。

西川 智之(名古屋大学)