ドイツの音楽を研究して:バロック音楽研究会(M. Teramoto) [J]   作成日:2016/06/29
 ドイツの音楽の研究というと、独文学会の方ならばバッハやベートーヴェン、あるいはヴァーグナーの音楽を思い浮かべられるかもしれない。音楽学では、半世紀以上にわたって活動を続けている、中世ルネサンス音楽研究会とバロック音楽研究会という2つの研究会がある。これらの研究会は世界的に見ても1970年代から80年代にかけて華々しい成果を上げたルネサンス音楽の演奏と研究、1960年代から着々と成果を上げつつあったバロック音楽の演奏と研究と密接に関連している。後者のバロック音楽研究会は、研究対象がドイツ・バロックであるばかりではなく、設立以来多くの研究者がドイツで音楽学を学び、そして研究を進めてきた。私自身はルネサンスから初期バロック、そして時代は飛ぶが、初期ロマン派の音楽を研究している。
 バロック音楽研究会は、ドイツ音楽の父とも言われるハインリヒ・シュッツ(1585-1672)を研究され、長年にわたり東京藝術大学でバロック音楽を講じられた服部幸三教授の薫陶を受けたバロック音楽研究者が中心となり、互いの研究を発表したり、文献を紹介したりする場として1960年代初めに発足した。当初は東京芸術大学音楽学部楽理科に所蔵されていたドイツの16世紀から18世紀前半までの楽譜を納めた、カッセルの『ドイツ音楽史文庫Deutsches musikgeschichtliches Archiv』の中の17世紀鍵盤楽器用楽譜集を現代譜に解読し、その音楽の研究を深めていた。しかし、次第に設立当初のメンバーが退き、メンバーが若手研究者のみになった時、バロック時代のドイツ音楽において重要なジャンルでありながら、音楽事典には適切な記述が見られない教会カンタータに照準を合わせた共同研究体制が開始した。まず議論を重ねて主題を決定、共同で資料収集と検討、文献講読を行い、個々の対象に対して興味深い主題を抽出してゆく。そして担当者が責任をもって論文を執筆し、研究会で検討した後、日本音楽学会の機関誌『音楽学』に投稿した。こうした手続きを経て、1995年には研究会員9名で『教会カンタータの成立と展開』(アカデミア・ミュージック)を上梓した。第2部の作品研究(J.H.シャイン、D.ブクステフーデ、J.シェレ、J.クーナウ、Chr.グラウプナー)の前に、第1部で教会と音楽、都市と教会音楽、プロテスタント教会音楽史を概観、第3部では受容を論じた。

 この研究では、同じジャンルの音楽とそれに関連した活動でも、地域によって傾向も、意味合いも異なるという問題に直面したため、次の共同研究のテーマをある都市に限定して、この問題を掘り下げようと考えた。その際に研究会が選んだ街は、J.S.バッハの百年前に生を受けたシュッツが活躍し、バッハとも関わりのあるザクセン選帝侯国の首都ドレスデンである。こうして、ドレスデン市制800周年に1年遅れた2007年に出版した7名の研究者による『ドレスデン 都市と音楽』(東京書籍)では、ドレスデンの音楽活動状況を歴史的に概観した後、音楽の機能別にドレスデンの劇音楽、食卓の音楽、教会音楽の3部が続き、シュッツ、アルブリーチ、ペランダといった作曲家の作品研究ばかりではなく、楽器製作や礼拝と音楽といった広い視点での考察が含まれる。現在はそれに続き、ドレスデンが音楽の黄金時代を迎えたフリードリヒ・アウグスト1-2世時代を研究対象として、各研究会員が当時の宮廷の音楽状況、劇音楽、教会音楽について研究を進め、その成果を研究者の所属する大学の紀要や学会誌などに発表している。

 振り返って見ると、音楽学の世界でも、この半世紀の間に研究環境は激変した。50年前には研究のためには楽譜(手稿譜や印刷譜)をマイクロフィルムの形で海外の図書館から取り寄せていたが、今日では海外の図書館において貴重資料のデジタル化が進み、ドイツ音楽学会のポータルサイトVifa-Musik(Virtual Library of Musicology)に見られるように、例えばバッハの自筆譜や初版譜が図書館のサイトから簡単にダウンロードできる。ドレスデンに関してもザクセン州立図書館(Sächsische Landesbibliothek -Staats- und Universitätsbibliothek Dresden)に、HofmusikやNotenschrankといったデジタル楽譜文庫が整備されている。18世紀初頭から半ばにかけてのドレスデンでは宮廷による音楽活動は活発であったが、その領地がザクセンからポーランドまで広がり、宗教的にも複雑な様相を呈している。そのため、音楽活動の実態は劇音楽に関しては明らかになりつつあるものの、教会音楽の面では不明な点が数多く残されている。少人数の研究会であり、研究会員の職務上の制約もあるが、今後は技術の進歩の恩恵を生かして、研究の成果をまとめていきたいと考えている。

寺本まり子(武蔵野音楽大学)