原子力と里地――ASLE-Japan/文学・環境学会に参加して (K. Isozaki) [J]   作成日:2016/10/01
 ASLE-Japan/文学・環境学会という学会をご存じでしょうか。ASLE-Japan は the Association for the Study of Literature and Environment in Japan の略称で、「アズリージャパン」と読みます。会の設立から20余年、自然や環境の問題を文学の観点から考察すること、文学研究に自然や環境の問題を導入することに対して、積極的な役割を果たそうとする学会です(注1)。この学会の会員数は約200名、その過半数は英米文学の専門家ですが、ASLE-US(アメリカ)やASLE-UK(イギリス)といった海外の団体とも連携しており、毎年の全国大会の他に、国際大会も開かれています。近年は東アジアの結びつきも重要視されていて、ASLE-KoreaやASLE-Taiwanとの合同企画も開催されています。日本独文学会の会員でもある私から見れば、どうしてもドイツ文学系の学会と比較してしまうのですが、この学会には院生組織があることが興味深いです。ASLE-J院生組織は、現在のところ10名程度の構成員から成るようですが、役員リストにも「院生代表」なる役職があり、メーリングリストを使った読書会や、全国大会での研究発表等の積極的な活動が展開されています。その他、FacebookやTwitterといったSNSでの情報発信や、ニューズレターも年に二回発行されています。これらは、学会の活動報告や書誌情報、会員のエッセイ等の気軽に読める内容で構成されています。「学会」という「高い敷居」を下げる、あるいは「高い敷居」があるようには見せない工夫のなかで、大学院生や、場合によっては一般の方でも参加しやすい雰囲気が作られているように思われます。そもそも自然や環境というものは、われわれの生活そのものの形成要素でもあるので、文学・環境学会は、われわれの日常生活と文学を架橋してくれる学会と考えてもいいのかもしれません。年に一回の全国大会は、東京と地方都市との隔年開催ですが、毎回のようにフィールドトリップが企画され、地方開催の場合は、合宿形式での開催となることも多いようです。もっとも、この学会において英米文学の研究者が大半を占めることを、自分で勝手に「敷居」と思い込んでいた私は、先輩に誘われるままに入会した後、これまで実際に参加したことはなかったのですが、福井大会の開催は良い契機となりました。
 2016年8月20日~21日に行われた第22回全国大会(於:AOSSA福井市地域交流プラザ)では、大枠となるテーマが「原子力」と「里地」でした。これに応じて、「原発を止める!――原発訴訟の最前線から」と題された基調講演と、「越前の里山とコウノトリ・プロジェクト」と題されたフォーラムが行われました。前者については、福井県と滋賀県の原発差し止め訴訟の現場で闘っている二名の弁護士から、大飯発電所3・4号機と高浜原発3・4号機の運転差し止めをめぐる仮処分の決定とその後の展開についての報告がありました。市民の声や関西電力からの圧力など、さまざまな利害と思惑が交錯している、複雑な原発をめぐる現実について、われわれは改めて知ることになりました。後者については、福井県と越前市の双方から「コウノトリが舞う里づくり」プロジェクトに関わっている専門家の説明により、このプロジェクトの経緯と今後の展望について知ることができました。里地・里山の環境保全、環境調和型農業、学び合いと交流といった構想のなかで、厳しい局面に晒された日本の農村部が、今後何を発信していけるのかという点で、一つのモデルケースが示されていたように思います。こうしたゲストスピーカーたちの講演は、たんに学者として自分の言論に理を通せばいいという立場とは違って、ときに妥協も強いられる現実こそが、人間を取り巻く環境なのである、というメッセージを強く放っていたように思われました。院生企画として行われたクロスレビュー「スベトラーナ・アレクシエービッチ著『チェルノブイリの祈り――未来の物語』」では、4名の大学院生の方が、同著作についてオーラルヒストリー、表象論、比較社会学等の観点から考察していました。チェルノブイリ被災者のインタビュー集となる同作のなかで、著者アレクシエービッチは「自分自身へのインタビュー」と称して、「この本はチェルノブイリについての本じゃありません。チェルノブイリを取りまく世界のこと、私たちが知らなかったこと、ほとんど知らなかったことについての本です」(注2)と語っています。この発言から見ても、たしかに事故そのものについては、いろいろな研究分野で様々な検証がなされ、次々に「事実」が明らかにされてきたのだろうけれども、「見落とされた歴史」や不確かな人間の心を扱うということになれば、文学はもっともこれに適したジャンルなのではないか、と改めて考えさせられました。また、学生の方々が、大学の枠組を超えた「学びの場」を形成し、一冊の著作をめぐって討議を重ね、学会発表に臨むという態度に、学びの原点のようなものを感じることができました。他方で、シンポジウム「原発・原子力と文学」は、日米をスカイプでつないで実施され、新たなシンポジウムの形態も知ることができました。今回はわれわれも「自然へのまなざし――19世紀ドイツ語圏の環境と文学」と題して、ゲーテ、G・ケラー、C・F・マイヤー、シュティフターといった作家の作品をシンポジウム形式で検討したのですが、原子力に関しては、G・グラスの『女ねずみ』やG・パウゼヴァング『みえない雲』等、ドイツにも秀逸な作品があることを思えば、これらを扱えるような現代文学の研究者の方々の話もぜひとも聴いてみたいところでした。

 大会二日目の午後には、学びの場を屋外に移して、フィールドトリップが行われました。目的地は、ラムサール条約の登録湿地である中池見湿地(福井県敦賀市)、および関西電力美浜発電所(三方郡美浜町)、日本原子力研究開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」(敦賀市)です。中池見湿地は、気候の良い時期には適度なハイキングコースとして、お勧めの場所です。8月はやはり暑かったのですが、ビジターセンターのなかで、湿地に生きるさまざまな水生生物が実際に飼育されていたことに驚かされました。原発関連施設は、施設内には立ち入れないということで、外部からの「見学」になったのですが、施設そのものよりも警備の物々しさが目につきました。2015年に1号機と2号機が廃炉になり、3号機が定期点検中である美浜発電所は、敦賀半島から小島のように突き出た場所にあり、半島から施設までは小さな橋で結ばれています。この橋を越えることはできないし、橋の前に車を止めただけでも、守衛に声をかけられ、車のナンバーを控えられるという説明を受けました。観光バスに乗ったわれわれも、ここでは車を止めず、徐行して通り過ぎただけだったのですが、それでも守衛所からすぐに人が(制服のズボンをたくしあげつつ)出てきたことに息をのみました。


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図1:動くバスからの美浜発電所(筆者撮影)

 昨年(2015年)に映画化された東野圭吾原作『天空の蜂』のモデルとなった「もんじゅ」は、商用原子炉とは異なり、研究用の原子炉であるため、文部科学省の所管となるといった説明書きがなされており、一般人にはどこか謎めいた施設です。トラブルが続いたため、ここ20年以上にわたり、運転の実績がわずか数か月しかないこの施設を、われわれは近場の海水浴場の砂浜から眺めました。

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図2:高速増殖炉「もんじゅ」(筆者撮影)

 海岸線の白亜の巨大施設は、壮麗な眺めを呈し、周囲の景観にも溶け込んでいるように見えました。(ちなみに夜はライトアップされているようです。)しかし、この施設には、核兵器への転用も可能な、高純度のプルトニウムを作ることのできる高速炉が存在していることを考えると、壮麗な外観は、見事なカモフラージュであると言えるのかもしれません。2016年9月現在、防衛相の発言により、廃炉も噂されているこの施設に関して、「進むも地獄、戻るも地獄」(注3)という報道のキャッチフレーズが目につきました。これは廃炉にする場合でも、再稼働を目指す場合でも、金銭的な問題を含めて解決の目途が立たないという意味です。しかし、ならば私は言いたいです、「進まないのも戻らないのも地獄」ではないだろうか、と。つまり地元の立場から見れば、この施設が「このまま放置され続けるのですか」という疑問です。とはいえ、これを脱「地獄」化するような「原子力ムラ」の言説もたしかに存在しています。中池見湿地が、北陸自動車道(高速道路)や国道8号線の悪影響から立ち直ったかに見えた後、今度は、近未来の北陸新幹線設置の影響力を噂されているように、環境の現実は、やはり今でも経済的繁栄を求める声とのせめぎ合いなのだと思わざるをえません。

 今年(平成28年)の3月に県都の玄関口である福井駅西口駅前広場には、恐竜のモニュメントが登場しました。

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図3:恐竜モニュメント(左からフクイラプトル、フクイサウルス、フクイティタン、筆者撮影)

 動くうえに唸り声まであげる、これら3体の原寸大モニュメントは、来客に「福井って恐竜なのかな」という印象を与えるには十分なシンボルとしての力を備えているように思われます。これら3体で約7千万円、JR福井駅舎の恐竜ラッピング等も含めた総額約1億2千万円となる平成26年度福井駅広場恐竜王国福井推進事業は、そのほとんどが同年度の電源立地地域交付金事業を財源としています(注4)。これは、いわゆる原発交付金です。その他にも、教育・文化・スポーツの振興(例:県立学校のリフレッシュ事業、福井国体に向けた競技施設の改修)、産業の振興(例:企業誘致の推進)、医療・福祉の充実(例:陽子線がん治療の研究、医師確保対策事業、子育てサポート事業)等の目的で、この交付金が活用されています(注5)。中池見湿地と同様にラムサール条約指定湿地である、三方五湖(三方郡美浜町)の里山里海湖拠点事業にまで、これが利用されています(注6)。暮らしの隅々にまで達している感のあるこの財源を、もし「恩恵」と呼ばないのだとすれば、いったい何と呼んだらいいのだろう、などと考えると、現実の壁の高さには、ため息が出るばかりです。

磯崎康太郎(福井大学)

(注1)ASLE-Japan/文学・環境学会ホームページ 2016年9月17日取得, URL: http://www.asle-japan.org/ 参照。
(注2)スベトラーナ・アレクシエービッチ(2011年)『チェルノブイリの祈り――未来の物語』、松本妙子訳、岩波書店、29頁。
(注3)ワードリーフ株式会社「THE PAGE」(2016年9月2日)「進むも地獄、戻るも地獄、〈もんじゅ廃炉〉なら日本の原子力政策どうなる?」2016年9月17日取得、URL: https://thepage.jp/detail/20160901-00000004-wordleaf 参照。
(注4)福井県「平成26年度電源交付金事業評価」2016年9月17日取得、URL: http://www.pref.fukui.jp/doc/dengen/kofukin_d/fil/011.pdf 参照。
(注5)福井県「電源三法交付金の活用状況(平成26年度)」2016年9月17日取得、URL:http://www.pref.fukui.jp/doc/dengen/kofukin_d/fil/002.pdf 参照。
(注6)福井県「電源立地地域対策交付金で造成した基金」2016年9月17日取得、URL: http://www.pref.fukui.jp/doc/dengen/kofukin_d/fil/006.pdf 参照。