学会の楽しみ (H.Kinefuchi) [J]   作成日:2018/06/09
 学会が楽しいという話なら書けるかな、と思ったとき、ぼくが念頭に置いていたのは、研究発表会だ。人が「学会」という言葉を使うとき、意味されているのは、組織としての学会であったり、研究発表会であったりする。でも、組織としての学会が、もっともそれらしく姿を現すのは研究発表会においてなんじゃないか、という気もする。
 ぼくが初めて加わった学会は、母校早稲田の学会だ。当時は早稲田大学ドイツ語学文学会と称していたが、今は「大学」がぬけて早稲田ドイツ語学文学会と言う。この学会が発足したとき、まだぼくは学生だった。在籍していたからということで自動的にメンバーになった。それだけの話だから、何やらお目出たい雰囲気をおすそ分けしてもらいながらも、他人事のような感じがしていた。機関誌「ワセダ・ブレッター」も、最初の頃は現役の先生方が盛んに執筆していたし、畏れ多くて投稿する気になれなかった。でも、研究発表会は何だか楽しかった。
 顔見知りの人や、初めて会う先輩がどんな研究をしているのかということについてはそれなりに関心があった。論文を読むのは面倒だが、発表を聞くだけなら楽だ。質疑応答の際の様子も含めて発表者の人柄が表れるのも面白い。だが何より楽しみだったのは懇親会だ。ぼくら学生は会議室の机をいそいそと配置しなおして、仕出しの料理とビールを並べる。自分の研究が行き詰っていることなどすっかり忘れて、その賑やかな世界の一員であることが単純に嬉しかった。

 その後、遅ればせながら、日本独文学会にも入れてもらった。ちょっと得意な気分だった。3年間の助手時代、東京学会はサボったが、出張費が出るのをいいことに遠方の地方学会には必ず出かけた。たまたま札幌と沖縄で学会があったので、得をした気分だった。沖縄では会員でもないのにオーストリア学会の宴会にも出た。洗練された八重山料理専門店で、初めて泡盛を飲み、豆腐餻を食べ、初対面の先生にカラんでソッポを向かれた。ほとんど肝試しのノリで蓼科の文化ゼミにも参加したが、酒を飲んだ記憶しかない。

 留学から戻り、2000年春の外語大で初めて発表をやった。プログラムの加減か、なぜか会場は満員で、気分がよかった。その調子で先へ進めればよかったのだが、さあこれから、というところで、ぼくはどうしようもないスランプに陥ってしまった。突然行き詰ったというよりは、留学前からすでに始まっていた低空飛行状態に戻った、という感じだったが、そうなると、少なくともさしあたり学会発表を実現している同業者たちが、みな太刀打ちできないライバルにしか見えなくなってくる。学会が開催されるということ自体が苦痛だった。行く気になどなれない。声をかけていただきながら発表をお断りしたこともある。だいたい週十数コマを抱えて首都圏を這いずり回っていた非常勤専業のぼくだ。学期中の週末はいつもヘトヘトだったし、地方学会へ足を伸ばす金なんかない。自分の不調が先だったのか、ドイツ語ドイツ文学業界全体への不信と幻滅が先だったのか、今となってはわからない。

 結局、学位論文の執筆も中断し、一篇の雑誌論文も発表できないまま時間だけが過ぎていった。もしかしたら、そういうときこそ、研究発表会に出かけて同業者たちの仕事ぶりを励みにするべきだったのかもしれない。いささか後悔している。当時のぼくにアドバイスできるなら、多少無理してでも、同業者の集まる場所にたまには顔を出すよう言ってやりたい。良きにつけ悪しきにつけ、学会なんて、それほど特別な場所じゃない。自分と似たような連中が集まっているだけだ。みんなそれなりに苦労しているのだ。

 ぼくが学会に「復帰」したのは博士論文を提出したあとだ。全国学会デビュー以来一度も姿を見せないまま八年が経っていた。名古屋市立大での朝イチ、会長と先輩一名のほか、ほとんど聴衆のいないさみしい舞台だったが、ぼくとしては感慨深かった。やっと戻って来られた・・・。数年がかりのリハビリを経て、ぼくは九州に縁ができ、ご存じ、「燃える」西日本支部に入会した。この支部の、あまりにも人間臭く温かい雰囲気は、ほとんど衝撃的ですらあった。「場」の大切さを思い知らされた次第である。というわけで、今は、全国学会・支部学会を問わず、所属学会の研究発表会にはなるべく参加するようにしている。すっかり立派になった同世代の中堅諸氏の雄姿に刺激を受け、若手の俊英に感心し、懐かしい大先生方のお元気な姿を見れば嬉しくなる。だいたい、世の中全体がグローバル資本主義に飲み込まれ、近視眼的成果主義に縛られ、道具的理性の奴隷と化している今日この頃である。「日本でドイツ学」なんていうトボけた業界が存在していて、マニアックな細部にこだわって「ああでもないこうでもない」とやっているモノ好きが、まだまだこれだけ生き残っているという事実が、ぼくにはこの上なく貴重なことに思える。この優雅さこそが言論の自由と批判的精神の前提なのだ。これで〈自分が発表しない学会へ行くと自分だけが何もしていないような気がして無闇に焦る〉という症状さえ出なくなれば、もっとよいのだが。

 論文を投稿して落とされて文句を言ったり、口頭発表を断られて愚痴ったり、自分も編集委員になって査読したりということをやっているうちに、最近ようやく実感としてわかってきたことがある。それは、学会というのはまさに同業組合なんだ、ということだ。若い頃のぼくは、学会に権威を求めていた。学会には、説得力ある権威を備えていてほしかった。でも、そんなことを期待してはいけなかったのだ。似た者同士とは言え、立場もキャリアも考え方もさまざまな人間たちが集まって来て、たまたまそこに居合わせているというのが学会だ。そうやって形成された自分たちの生きる場を維持するため、近親憎悪をたぎらせつつも同類相憐れみ、妥協を重ね、ボランティア精神に則って、利害関係者がともかくも力を合わせる、いうのが学会なのだ。黙って座って同業者たちの発表を聞くだけでも、理事選挙の際に投票するだけでも、総会に出席するだけでも、多少は貢献していることになる。研究発表会は恒例のお祭りだ。せいぜい盛り上げないといけない。空疎な発表、退屈な発表を聞かされるとゲンナリするけれど、それがわれわれの業界の現状である以上は知っておいた方がいい。気長に通っていれば、よい出会いもある。あるいは宴会目当てでもいいじゃないか。世代を越えて、より多くの会員が気楽に参加するようになったらいいと思う。ぼくらの業界も、これ以上層が薄くなったら終わりだ。みなさん、学会でお会いしましょう。

杵渕博樹(東京女子大学)